(via Image of the Day: iPod’s incredible evolution | DVICE)
この間の10月23日でiPodが10周年だったそうだけれど、10年前のiPodと今のiPod Touchを較べるとこの写真のとおり。
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(via Image of the Day: iPod’s incredible evolution | DVICE)
この間の10月23日でiPodが10周年だったそうだけれど、10年前のiPodと今のiPod Touchを較べるとこの写真のとおり。
Just when the caterpillar thought the world was over, it became a butterfly.
(「あぁ、世界が終わる」そう思った瞬間に、イモムシは蝶になる)
元ネタ: http://bit.ly/h7AiL9
いくらでもピーな女キャラはいるだろうに、なんで吉良吉影なんだよ!
どのチャンネルつけても、報道番組一色で、オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティ番組にできることは少ないよ。
地震発生から間もない14日の月曜日に、『世界まる見え!テレビ特捜部』(日本テレビ系)の収録があって、スタジオに客まで入れたんだけど、直前に取り止めたんだ。所(ジョージ)と相談してさ。こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。とてもじゃないけど笑えないよってさ。
よく「被災地にも笑いを」なんていうヤツがいるけど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯(ざ)れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。
オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。早く、そんな日がくればいいね。
常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。
今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒瀆だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。
だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。
逆にいえば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。
それにしても、今回の地震はショックだったね。こんな不安感の中で、普段通り生きるのは大変なことだよ。原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。政治家や官僚たちにいいたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。
それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。もう、それしかない。
人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。どんなに長く生きたいと願ったって、そうは生きられやしないんだ。「諦め」とか「覚悟」とまではいわないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。
オイラはバイク事故(94年)で死を覚悟してから、その前とその後の人生が丸きり変わっちまった。
今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがよくあるんだ。
そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。それはこんな時でも変わらないよ。やりたいことは何だって?バカヤロー、決まってるだろ。最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。
74 名前:名無しさん@涙目です。(dion軍)[] 投稿日:2011/03/15(火) 23:01:10.21 ID:WJ7ZouJo0
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僕がインタビューした日比谷線で通っているサラリーマンは自嘲的に笑いながら、「誰かがわざわざサリンを撒くまでもなく、この電車で死人が出ないこと自体が不思議なくらいですよ」と語った。
それくらい激しく混んでいるのだーーまさに≪殺人的≫に。ある場合には、息をすることも出来ない。
戸口近くでのラッシュアワーの押し合いで、腕の骨を折った人もいる。ひとりの女性は通勤電車でよく立ったまま眠るのだと語った。乗り込んでから降りるまで、殆ど身動きしないでいいから。
「それはまるで戦争なんです」と一人のサラリーマンは述懐した。
「そして、それを我々は毎朝毎朝、週に五日、定年を迎えるまで三十年以上続けなくちゃならないんです」
「苦しくありませんか?」と僕は尋ねた。
彼は顔をわずかに歪めた。苦しくないわけはないだろう、とその顔は語っていた。
でも彼はそれをあえて口には出さなかった。それを口に出すと、自分の中でおそらく何かが崩れてしまうからだ。
そのかわり彼はこう言う、「いいですか。≪みんなが≫それをやっているんです。僕だけがやっているわけじゃない」。
それが僕らの国だ。
どれだけ日本が経済的繁栄を数字の上で誇っていても、社会を構成する「普通の人々」が、それにふさわしい豊かな生活を自分たちが手にしていると実感することは難しかった。それはどれだけ近づいても、常に遠ざかっていく砂漠の蜃気楼に似ていた。
だからこそ彼らは自らが安易に社会化されることに対して「ノー」と言わないわけにはいかなかったのだ。
「≪みんなはそれをやっている≫かも知れないけれど、私はそれをしたくない」と。
問題は、社会のメイン・システムに対して「ノー」と叫ぶ人々を受け入れることの出来る活力のあるサブ・システムが、日本の社会に選択しとして存在しなかったことにある。
それが現代日本社会の抱えた不幸であり、悲劇であるかも知れない。
BBCニュースに、日本人のおっさんが出ていた。
いかにも日本の労働者階級的な風体で、焚き火にあたり、
「消息不明の家族を探すために自宅のあった付近を見に来た」と語っていた。おっさんのそばには肩を落とした中年男性が2人佇んでいる。いずれも、わたしの
日本の親父と同様の職業かと思われる服装。皆、同じように家族の消息がわからないのだという。
英語の字幕も出ず、同時通訳も追い付いていなかったので、連合いが「何?何してんの、このおっさんたち?」と訊く。事情を説明すると、「でも、泣いてないじゃん。なんか全然平気そう。うっすら笑ってるような顔さえしてる」と不思議そうに言う。
カメラのアングルが切り替わり、英国人リポーターが大写しになると、その背後で、画面の隅に小さくなった日本人のおっさんの1人が、ひっそりと手で目を押さえているのが見えた。
これがジャパニーズなんだよ。と言いかけてわたしはやめた。
閉じた襖の陰で泣く。などという日本人のDNAにこびりついた美意識は、西洋人には到底理解できないし、第一、彼らは画面の隅に消えそうになっている小さなものを注視するような人々ではない。
思えば、これは「愛着理論」のテーマの一つでもあった。
日本人は感情を出さない。出せない。効果的に出すのが下手だ。
しかし、だからと言って鈍感なのではないし、ましてやエモーショナルな障害など抱えているわけがない。日本人は、誰にも見えない形で、本当は誰よりも繊細に感じているのだ。
西
洋社会に来て日の浅い日本人には、「我々も西洋人のようにがんがん感情を表に出し、がんがん自らの考えを主張できる、一回りスケールの大きい人間になるべ
きだ」などと考え、いきなり突拍子もなく声を裏返して「ハ〜イ」と言い出す人もいるが、成人後の人生では日本より英国在住生活のほうが長くなってしまった
わたしなどからすると、今回のようなことが起こると、日本人の遺伝子に刷り込まれた“クール/アンクールの基準”(モラル。と呼ばれることもあるが)の美
しさに打たれずにはいられない。
日本人は、声を裏返して変わる必要はない。そのまま、淡々と、粛々と行けばいい。